
迷わずにいられる人を見ると、
少しうらやましくなることがありました。
これがいい。
私はこう思う。
そう言い切れる人。
それに比べて私は、
揺れてしまう部分がある。
誰かの意見を聞けば、
「そっちもあるかもしれない」と思う。
違う考えに出会えば、
「私が間違っているのかな」と立ち止まる。
そんな自分を、
優柔不断だと思ったこともありました。
アメリカでは、
どんな意見でも、
「私はこう思う」と言えることが
素晴らしいという世界。
曖昧にしない。
はっきり選ぶ。
その姿勢は潔く、
とても鍛えられた時間でした。
はっきりした国民性は今でも大好きです。
けれど帰国して思ったのです。
日本には、
すぐに白黒をつけない感性がある。
はっきり言わないことが、
必ずしも弱さではない。
どちらの気持ちも想像して、
少し揺れる。
その時間のなかにある、
やわらかさや思いやり。
私は、その感性も好きです。
自分の意見はある。
でも、100%の自信はない。
だから揺れる。
でもそれは、ちゃんと考えているからかもしれない。
それでいいじゃないか、と思えます。
それでも時々、
揺れが大きくなりすぎることがあります。
Facebookやinstagramを開けば、
誰かの近況が流れてくる。
丁寧な暮らし。
充実した毎日。
きれいに整えられた時間。
刺激になることもある。
嬉しくなることもある。
学びになることもある。
でも忙しい毎日のなかでは、
その情報は少しtoo muchになることもありました。
自分のペースが崩れてしまう。
比べたくないのに、比べてしまう私がいる。
だから今は、
SNSをあまり見ないようにしています。
否定しているわけではありません。
ただ、今の私には少し静かに考える時間のほうが合っているから。
揺れる自分をなくそうとするのではなく、
揺れすぎないように環境を整える。
それもまた、
自分を大切にする一つの選択。
私は、
揺れる自分を否定しません。
揺れながら、
そのときの自分にしっくりくるほうを選ぶ。
それが、
今の私の在り方です。


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